忌中のお正月の過ごし方

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忌中や喪中の「正しい」お正月の過ごし方とは?

喪中(1年以内に身内を亡くした人)や忌中(仏教では49日、神道では50日以内に身内を亡くした人)の最中、お正月が重なってしまったことはありませんか?忌中は「故人の冥福を祈り、晴れがましいことや派手な行動を慎む」という大前提があります。

 

それを照らし合わせると、お正月飾りやしめ縄、初詣、おせち、お年玉などのお正月の風物詩が頭を駆け巡り、どこまでが許されるのか悩ましくなりますよね。まずは「お正月」について考えてみましょう。

 

 

<お正月って、そもそも何?>

 

正月とは、本来その年の豊穣(ほうじょう)を司る歳神様(としがみさま)を家にお迎えする行事です。歳神様とは、1年の初めに家々を訪問し、その年の作物が豊かに実り、家族が元気で暮らせるよう約束して下さる神様です。

 

門松やしめ縄、鏡餅も単なる飾り物ではありません。門松は来臨する歳神様の依代(よりしろ)であり、門松用の木を切ってくる際には洗米を備えたり、柏手を打ち、敬虔な気持ちでナタを入れる地域もあるくらい、大切な存在なのです。

 

鏡餅は歳神様への供え物であり、餅は三種の神器のひとつ、八咫鏡(やたのかがみ)である青銅製の鏡に似ていることから用いられています。また橙(ダイダイ)は三種の神器、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)に見立てたもの。串柿は三種の神器、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)に見立てたもの、と言われています。

 

つまり、お正月とは歳神様を家にお迎えすること、お正月飾りとは歳神様を心から歓迎する為の準備なのです。歳神様信仰は、「全てのモノには命があり、なんらかの意味がある」という「アニミズム」信仰から起因していると言われています。

 

これは、作物の生命(いなだま)と人の生命(たま)は1つのものであり、人が亡くなると魂はこの世とは別の世界に行き、ある一定の期間が過ぎると「個」は消滅し、「祖霊」という大きな集団、つまり「ご先祖様」になると信じらていたそうです。

 

この祖霊が春になると「田の神」に、秋が終わると「山の神」に、そして正月には「歳神」になり、子孫の繁栄と幸せを見守っているのだそうです。とても素敵な話ですね。

 

また「明けましておめでとうございます」という言葉は、春の訪れがもたらす生命の誕生を祝う「新しい春を迎え芽が出る」という意味から「めでたい(芽出度い)」となり、年が明け歳神様をお迎えする際の祝福の言葉となったそうです。

 

つまり神様への感謝の言葉を交わし合うことにより、今年も無事に歳神様をお迎えすることが出来たことを喜び合ったということだそうです。

 

 

<忌中や喪中のお正月の過ごし方>

 

さて、そんな素敵な歳神様をお迎えする行事・お正月ですが、忌中や喪中でのお正月の過ごし方はどのようにしたら良いのでしょうか?

 

前年に身内の不幸があり、亡くなった方がいるということは「無事に1年を迎えることが出来なかった」=「残念ながら喜べない」ということで、門松を立てたり、お正月飾りをしたり、祝い事にまつわる行事は差し控えるようにするのが一般的のようです。

 

けれど、前章のお正月の由来や意味を考えると、確かに忌中や喪中は亡くなった方の喪に服し、静かに冥福を祈ることは重要ではありますが、お正月行事を全て否定すべきものではないのではないか、と個人的には思います。

 

亡くなった方はいずれ祖霊となり、愛する人々を見守る守り神になります。愛する人の幸せや笑顔が一番見たいのは亡くなった方自身であり、自分の為に全ての楽しみを控えることは本位ではないのではないでしょうか?(私が「亡くなった方」ならそう思います)

 

 

ということで、確かに忌中や喪中にお屠蘇を酌み交わし「おめでとう!」と祝箸で何事もなかったかのようにお正月を過ごすことは控えるにしても、お雑煮やおせちを「普通の食事」として楽しみ、お年玉も「普通のお小遣い」としてあげるのは問題ないと思います。

 

ただ、忌中は神社への参拝は宗教上控えることになっていますし、有名な寺院へお祝い気分で初詣することは控えた方が良いのでご注意を。では、初詣の代わりに何をしたほうが良いでしょう?

 

今一度お正月の意味を考えてみると、亡くなった方が祖霊となり、田の神様や山の神様、歳神様になるのであれば、ご先祖のお墓詣りをして、亡くなった方の冥福を祈りつつ、今年は良い年でありますようにとお願いする。それが本来の初詣のような気がしますが如何でしょうか?

 

 


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